大和朝廷:天照大神・祟りと鎮魂・邪馬台国:卑弥呼

f:id:rekishi-daisuki:20220103162532j:plain

吉野ケ里遺跡


 大和朝廷邪馬台国の関係は不思議です。

 今回は、天照大神・祟りと鎮魂・卑弥呼と言う観点から書かせて頂きます。

 

伊勢神宮(天照大神)は大和朝廷へ祟る?

三種の神器天皇家に祟る?

天照大神を祀る斎王が真の天皇

 

 天皇家の祖である天照大神・その象徴たる三種の神器天皇を祟るなんてありえない…

 とも言いきれないと思うのです。

 

 御霊信仰と言う物があり、広義でその範疇に入ると思うのです。

 御霊信仰とは、祟る神霊≒恨みを持ち死した「貴人」≒「怨霊」を「礼を尽くして祀る」事で、天変地異・病疫等の災いの発生を防げると言う信仰です。

 御霊信仰の始まりは御霊会の始まった平安時代からが通説ですが、「葬法」等から、原型はその遥か以前、少なくとも古墳時代からあった様です。

 

 例えば、記紀の、大国主の国譲り。これは御霊信仰と言える話です。

 素戔嗚尊の子孫で、日本国 創世神大国主天照大神(大和朝廷)に国を奪われ幽世に消えており、深い恨みを抱き死した貴人だと考えられます。

 その怨霊?大国主を、大和朝廷は、礼を尽くし祀っています。大神の名を捧げ、出雲大社を創建し、最上級の血族(天照の息子)に祀らせているのです。

 しかし反面、大国主の栄光は現世の物ではない事、祀られる≒死んでいる事を強く意識させてもいます。

 大神ではあっても幽世の大神。出雲大社では、四(死)拍手・左前?の注連縄が義務付けられています。

 そうする事で、大和朝廷(天照大神)は、創世神 大国主から、広大な土地を譲り受けているのです。

 

 また、中国の史書に因ると、倭(日本)は古代中国 王朝の周(BC1046年頃 - BC256年)との関連が深かった様です。

 その周では「福は祖先から、災いは天から」と言う思想の元、祖先崇拝と、天への祀り(国家安泰 祈願)祭天を行っていました。

 つまり、先祖の徳が血筋を通して自身を天子とする一方、天は徳が無いと判断して、自身を天子の座から引きずり落とすかもしれない存在であると言う事です。

 

 その周の思想は、倭(日本)に伝わり、少し変化したと考えられます。

 なぜなら倭(日本)には中国の様な易姓革命がない為、福をもたらす「(天皇の)先祖」と災いをもたらす「天」が、同一となるからです。

 その結果、災いの根源は「天」ではなく、深い恨みを抱き貴人「怨霊」になった。と推測できるのです。

 

 さてここで、記紀崇神天皇の条を見てみます。

 崇神天皇は考古学上、治世時期 3世紀後半、つまり卑弥呼死去後 台与と同時代と推定される天皇です。

 四道将軍を派遣して全国教化を努めた事、戸口を調査して初めて課役を課した事から、祭祀・軍事・内政で大和朝廷の基盤を整えた天皇と言われています。

 その治世で疫病が流行する等大きな災いが発生。

 それを鎮める為に、天照大神・倭大国魂・大物主を祀らせ、その結果、疫病は終息して五穀豊穣となったとあります。

 更にここには、重要な事が2つ書かれています。

 

(a)祀るのは子孫でなくては祟りはおさまらない事。

(b)霊威が強すぎるので、皇居から遠ざけなければならない事。

 

 (a)について、

 倭大国魂・大物主は、共に大国主の別名と言われていますが、子孫が違う訳ですから、モデルとなる人物は別だったと言う事です。

 つまり一般的に言われる様に、大国主とは、大和朝廷が併合した多くの国々の王達の集合体であろうと考えられる訳です。

 しかし、ポイントはそこではありません。大物主を祀る子孫が息子であると言う事と、天照大神を祀るのが皇族だと言う事です。

 

 つまり大国主(少なくともその一人)は記紀で書かれた神話の存在、初代 神武天皇の何代も前の存在ではなく、10代 崇神天皇の1代程度前の時代の存在だったと言う事。皇族直系以外の物語は神話に組み込まれている可能性があると言う事です。

 そして、皇族が祀る以上、天照大神は皇族・崇神天皇の祖先もしくは祖先的存在であり、怨霊である以上、不幸な死を遂げたであろうと言う事。

 祖先的としたのは、記紀そのままの存在であれば、怨霊的に扱われないだろうからと、唐書日本記に、初代 神武天皇から第58代 光孝天皇まで書かれていると同時に、大和に移る前、筑紫に天御中主(天照の12代前?)から彦瀲(天照の4代後)まで32代と書かれ、続いて37代皇極天皇までが一旦書かれている反面、天照大神には言及されていない事からです。

 

 この天照が卑弥呼である可能性は、大物主の例から考えてゼロではないと考えます。

 但し、中国の史書に載っていないだけで、卑弥呼以前に同様の存在が居たと言う可能性もあります。

 記紀熊襲征伐に因ると、九州ではトップに女性を据えている例が多々あり、大和朝廷の出身地も九州だからです。

 

 (b)についてですが、伊勢に移すほどに霊威が強かったと言う事ではないでしょうか?

 

 以上から①~③について簡単に纏めます。

 

伊勢神宮(天照大神)は大和朝廷へ祟る?

 怨霊の中でも血筋の良い?天照の霊威は何よりも強かった。

 太平記に於ける最大の怨霊が崇徳天皇であるのと同様です。

 

三種の神器天皇家に祟る?

 三種の神器は、天照大神や、大国主の祖 素戔嗚尊に繋がる物ですから、高い霊威を持ち、天下(天皇の御世)に悪影響を及ぼす可能性のある物です。

 

天照大神を祀る斎王が真の天皇

 御霊信仰、怨霊を鎮める事で天下を太平にすると言う事が、最重要案件ならば、斎王はその実行者。

 まさに、天下を太平にする統治者、影の天皇、真の天皇と言う見方もできると思います。